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メイプルハイム 戸狩温泉 飯山
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熟年夫婦フルムーン旅行 北陸新幹線で歴史探訪  菜の花公園

飯山市周辺、木島平周辺、野沢温泉周辺、富倉周辺には、多くの観光ポイントがあります。文化・歴史・芸能・美術館・資料館・神社仏閣・景勝地でご夫婦でのんびり歩く、スローフードの食事を楽しむ事ができます。熟年夫婦お二人でゆったり、のんびりした温泉旅行を楽しみませんか。

北陸新幹線の開通に伴い、多くの観光客の方がご訪問されると思います。金沢と東京の中間観光地として皆様の憩いの里山、山紫水明、おいしい食べ物をご提供できる機会ができたことに感謝しております。熟年ご夫婦やご家族での観光、行楽にぜひご利用いただけることをお待ちしております。


メイプルハイム 民宿 戸狩温泉

文化、歴史 飯山周辺観光 寺の町飯山

■飯山城
1557年武田氏により高梨政頼(たかなしまさよりは、戦国時代の信濃国中野(長野県中野市)を拠点とする名門高梨家当主。上杉謙信(長尾景虎)に与して武田信玄と戦う。)は高梨氏館から飯山城へと追われた。

1564年10月1日に、上杉謙信が、武田信玄に対抗して、越後の防御・信濃計略の前線基地として本格的に築城したのが飯山城です。

1578年3月13日上杉謙信が死去するとその跡目を巡って養子の景勝三郎景虎が争った御館の乱において飯山城は当初景虎方についていたらしく、景勝方に攻撃されている。この後、武田勝頼上杉景勝の和睦により飯山城は武田氏に割譲される。

1582年3月武田氏が滅亡すると織田信長の武将、森長可(森蘭丸の兄)の配下となるが、1582年6月2日本能寺の変によって森氏が信濃から撤退すると、飯山城は景勝の配下となり、信濃衆の岩井信能が城代に任ぜられ、地元の外様衆が交代で城番に任ぜられる。
1581年9月16日上杉景勝は岩井信能に飯山城の普請を命じた。
1582年以降は、上杉景勝の居城となる。後に豊臣秀吉の家臣である石川光吉(時期は不詳ですが、真田幸村の七女「かね」と婚姻、関ヶ原では西軍として敗戦したのち、「宗林」を名乗って京で金融業を営む)が千曲川両岸を支配する。
光吉は、義父である真田信繁、利世(竹林院)、幸昌(大助)、他の姉妹など信繁一家の墓を龍安寺大珠院に建てました。

1598年に関一政が3万石で信濃国飯山3万石へ移封され、同時に豊臣氏直轄領であった川中島四郡(明治初期までの水内郡・高井郡・更級郡・埴科郡の4郡がこれに相当)の代官にも任じられた。

1600年美濃国多良へ移封された翌年に美濃国土岐へと移封した。

1603年松平忠輝が信濃国川中島に18万石で入封したため、その家臣である皆川広照が傅役として4万石で入るが、忠輝の不行跡を徳川家康に訴えたところ逆に家老として不適と改易される。
その後、堀氏、佐久間氏、桜井松平氏、永井氏、青山氏と目まぐるしく城主が替る。
1717年本多助芳が越後糸魚川より入封すると、以降本多氏10代が明治維新まで飯山城に居を構えた。
明治元年(1868年)旧幕府軍衝鋒隊の攻撃を受け城下を焼かれ(飯山戦争)城の建物は、廃藩後に破却や焼失によって失われている。
飯山城ひとつの観光でも、歴史を知ってから歩いてみると、古の昔に戦国武将の足跡が見えるような気になりますね。大阪の陣である真田丸にも繋がる石川光吉にも興味が湧きますよね。それぞれの武将の関係もこの飯山城で始まっていたのかも知れません。

■飯山城址公園
現在、復元された門や土塁、石垣などが当時の飯山城を偲ぶ事ができます。階段式に郭を配した「後堅固の城」で、12年間の合戦にも信玄は攻め落とせなかったと言われています。飯山を代表する桜の名所でもあり、4月下旬から5月上旬にかけて、飯山城址さくらまつりが開催されます、同時に水仙の花々が咲き誇り、一面が香りと色で彩られます。

■雁木通り
豪雪地帯の飯山では、雪よけの屋根で積雪期においても通りを往来出来るように開発されたもので雪国に多く発展し秋田、青森にも見られ商店街の店が軒を表まで延長するようになっており、雪の除雪なくしても往来が出来るように工夫された通り。

■阿弥陀堂
映画、阿弥陀堂だより、パニック障害を病んだ妻を連れて帰郷した夫と阿弥陀堂を守る老女との交流を描いた作品にて建築されたロケセット場所として保存されています。現在は、本物の阿弥陀仏様が安置され地域の方に大切に守られています。

■仁王像
1847年の善光寺地震で消失した仁王門は、その17年後の1865年江戸谷中の春朝大佛師が仁王像を作成し大八車に解体して徒歩で運ばれました、その仁王像も明治24年(1891年)に消失し明治27年に再建を考慮して東京の高村光雲、竹内久一、岡崎雪馨に銅像の制作を依頼しますが、僧侶達からの銅像による制作を反対され計画が中止となります。明治45年まで仁王像はなくこの年のご開帳の為に高さ3m程の木造黒漆塗りの仁王像だけを、わずか1ヶ月で飯山の清水仏師に製作させご開帳に間に合わせました。4頭身の愛嬌ある仁王像はご開帳後解体され近隣の寺院に引き取られますが、軒下に置かれ見かねた長野市安庭の真龍寺に昭和11年に移されました。平成23年飯山市で譲り受け寺の町のシンボルとして再現されています。
善光寺の仁王像は明治45年ご開帳後再建の目処が立たない頃、山形村の永田兵太郎師が全額寄付の条件として門柱に姓名を刻印することを望むが、保存会や善光寺が困った戸いう話もあります。結局うやむやのうちになり最終的には仁王像は製作が遅れ大正7年に作られたものです。
2014年11月22日に起きた地震で仁王像の吽形(うんぎょう)がまとう細長い衣の一部が継ぎ目部分で折れ長さ1m程の天衣の先端部分が地面に落ちています。

■西大滝の六地蔵
東日本大震災翌日に起きた北部地震で、被害が大きかった栄村と隣接する西大滝にある六地蔵の台座を固めていない6体が(1体台座が固めてあった)東から南の栄村に向きを変えた。これが六地蔵が守ってくれたと話題になっている
6体が全て同じ方向に向き90度変えています。7体の地蔵があり、6体の体が栄村を向いた。

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里山のまつり 伝統芸能 無形重要文化財 飯山周辺文化財

 詳細は、地元の祭り・イベントをご覧ください。

名立神社例大祭(桑名川) 8月31日に近い土曜日
奈良沢の天狗舞 毎年9月中旬の土曜日、日曜日
柱松柴燈神事(小菅神社例大祭)
五束太々神楽 9月第3土曜、日曜日
静間神社例大祭

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美術館、資料館 飯山周辺美術館・資料館

飯山市伝統産業会館
長野県内にて伝統工芸品と指定されている7品目全てを展示しています。このうち2品目の『内山紙』『飯山仏壇』が飯山市の伝統工芸品です。
1階は飯山市美術館になっています
長野県の伝統工芸品のすべてを一同に観られます。匠の技能、細工や工夫された展示品をご覧ください。

高橋まゆみ人形館 高橋まゆみ人形館公式サイト
人形の世界とその舞台である、ふるさとの原風景が同時に楽しめる、昭和レトロの雰囲気と、遠い記憶に残る懐かしい風景の中で生活するおじいちゃん、おばあちゃん、こども等の生活感のある心温まる人形創作を続ける高橋まゆみ氏の人形館です。

北竜湖資料館
江戸時代後期に建造された、飯山の旧家を移築し全国の郷土玩具を展示、旧家の構造ながら二階の各部屋から1階の広間が見え、明かりと暖を取れるように工夫されています。以外と現代にも通じる工夫のある作り方に関心します。

斑尾高原絵本美術館  斑尾高原絵本美術館公式サイト
海外の作家を中心とした原画展を開催。展示内容は3~4ヶ月で変わり冬期間は不定期開館となります

飯山市ふるさと館
雪国飯山の歴史や自然など文化を紹介する資料を展示。民俗資料及び考古資料の収蔵室・ギャラリーに加え、非公開の古文書・貴重品等もあり、自由に閲覧可能です。
人形作家高橋まゆみさんの人形も10体ほど展示しており、高橋まゆみ人形館の休館日にはこちらで人形と出会うことも可能です。

斑尾高原 和紙あかり工房&ギャラリー
世界にひとつだけの「あかり」を作りましょう。クリスマスリース等に使用されている かずら(ツタ)でランプのシェード(骨組み)を作り、 色とりどりの和紙を骨組みに貼り付けて、オリジナルな「あかり」を作ります。

飯山市美術館
飯山に所縁のある芸術家の美術品を展示、長谷川青澄画伯。2階が飯山市伝統工芸品の展示じょうとなっています。

実家屋つまようじ 工房創夢可
乾燥植物で作ったミニチュア動物キャラクターやネイチャークラフト等を展示。

斑尾高原紫音ハーブミュージアム
斑尾高原、紫音ハープミュージアムでは、楽器の王様ハープを専門としたミュージアムです。
ハープの5000年の長い歴史は楽器として最も古いものの一つであり世界5大陸からの各種ハープ30台を常時展示。

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神社仏閣 飯山周辺のお寺巡り 七福神巡り

■建御名方富命彦神別神社(たけみなかたとみのみことひこかみわけじんじゃ)
建御名方富命彦神別神社は、『延喜式』神名帳に記載されている信濃国水内郡の式内社(名神大社)。延喜式(えんぎしき)平安時代中期に編纂された格式で、三代格式の一つであり三代格式のうちほぼ完全な形で残っているのは延喜式だけであり、細かな事柄まで規定されているため、古代史研究のうえで重視されている
『延喜式』神名帳には信濃国水内郡に「健御名方富命彦神別神社 名神大」と記載されたが、その後所在がわからなくなっており、現在に至っても以下の3場所で比定の決着はついていない。
1. 健御名方富命彦神別神社 長野市大字長野字本城東2411
2. 健御名方冨命彦神別神社 長野市信州新町大字水内斉宮315
3. 健御名方富命彦神別神社 飯山市大字豊田字伊豆木原3681-1
文献では、持統天皇5年(691年)に天皇の命で信濃国に「水内神」を祀らせたとする記述があり、これが文献上初見とされる。『延喜式』神名帳に「水内神」の記載はないが、健御名方富命彦神別神社が水内郡唯一の大社であることから、この「水内神」は健御名方富命彦神別神社を指すと考えられています。

■片山稲荷神社
江戸時代(1607年)に、飯山城藩主の片山主水が建立したといわれている。稲荷明神を信仰し、その後伏見稲荷より社格を得て、信州一之宮と称するようになった。

■西来寺
1607年の創建。もとは西敬寺の塔頭であったと言われています。明治2年、現地の位置にて独立。
塔頭(たっちゅう)とは、禅宗寺院で、祖師や門徒高僧の死後に、弟子が師の徳を慕い、大寺・名刹に寄り添って建てた塔(多くは祖師や高僧の墓塔)や庵などの小院となります。門徒らによって立ち並ぶ塔の中でも首座に置かれたこと、あるいは、門徒らが塔のほとり(=「頭」)で守ったことから塔頭と呼ばれたなどの説もあります。

■真宗寺
小説『破戒』の蓮華寺のモデルとして知られ、寺の脇には、第一章の一節を刻んだ文学碑が建っています。島崎藤村が明治35-36年頃取材の為数回来泊したことは『千曲川スケッチ』等にも記載されております。二十四世の妹つるえは「ふるさと」「おぼろ月夜」など多くの唱歌を作詞した高野辰之に嫁いでおり、博士の多くの書が残されています。昭和27年(1952)の飯山大火の際に山門や本堂等を焼失し、藤村が訪れた時代から残っているのは六角堂のみ。現在は中央幼稚園として多くの園児が通っている。

■妙専寺 愛宕町
信州にはじめてスキーを普及させたのが、この寺の第17代住職の市川達譲(いちかわたつじょう)で、日本にスキーが伝わった際に越後高田でレルヒ少佐より一本杖スキーを習い、飯山地方に普及させて2012年でちょうど100周年。それ以来、飯山は長野県のスキーの発祥の地となっている。参道は達譲が長野県で初めて一本杖スキーでシュプールを描いた場所として知られています。

■妙専寺 神明町
愛宕町にある妙専寺の分院。昭和23年本堂は焼失したが、昭和55年に再建された。
島木赤彦の弟子で、短歌「アララギ」の代表的歌人であった土田耕平が、大正12年この寺で病気療養していたことから、島木赤彦も幾度かこの寺を訪れたといわれている。本堂前には平成5年に建立された土田耕平の歌碑がある。

■光蓮寺
江戸時代に一世を風びした画僧・学僧で、詩人としても知られた武田雲室の出身寺ともなっている。 また島崎藤村の小説「破戒」に出てくる当時の飯山町の風景描写は、この寺の庫裏から見て書かれたとの話も残っている。

■常福寺
道場を併設し、普段は朝のお勤めの時間で坐禅を行っています。
円座を借りて、装飾品を外し、裸足になって仏間に入り、壁に向かって一列で坐禅を組みます。 1時間ほど雑念や妄想を相手にせず、ただひたすら姿勢を正して坐り続けることで、精神統一を行う、禅の修行のひとつが体験できます。

■称念寺
称念寺は庭園と紅葉の美しさで知られます。(見頃11月上旬から中旬)寺人が大事に手入れをしている庭園は、楓の芽吹きと秋の紅葉が見事あり、落ち着いた景色のもと参拝と併せて楽しむことができる。現在の本堂は、正倉院校倉式を模して昭和43年に再建。本尊の阿弥陀如来像は室町時代の作とも言われている。明治の南画家長井雲坪のゆかりの寺で、この寺の25世智賢が、寺に招き弟子となって水墨画を学んだ。

■正受寺
臨済宗の再興者、道鏡慧端(どうきょう・えたん)またの名を正受老人が終生を過ごした庵。 .道鏡慧端は松代藩主真田信之(幸村の兄)の子で、飯山城で生まれ育ち、若くして仏教に帰依し、江戸や東北各地の寺院で修行を積む。やがて悟りを開き帰郷した道鏡慧端のために飯山城主松平忠倶がこの庵を建設し、師の至道無難から贈られたとされています。

■高源院 あじさい寺
飯山市戸狩スキー場サイドに佇む高源院は、「あじさい寺」の愛称で親しまれている曹洞宗のお寺。 6月下旬~7月上旬、境内や参道は梅雨を彩る青や白、紫のアジサイ で埋め尽くされ 大いに見ごたえがあります。

■西敬寺
川中島合戦の時、武田信玄が東方から一条の光が差し出ているのを見とどけ、その光が西敬寺の太子堂からものであることを知り、この太子堂に深く帰依しました。その功徳なのか像に残る傷はしばしば信玄の身代わり役を演じたためといわれています。現在でも太子像は熱心な信仰を集め、毎月22日に太子講が営まれています。

■蓮證寺
蓮証寺の開基は、浄土真宗の蓮如上人に帰依した、近江守護佐々木(六角)氏の嫡男左衛門督尚高とされます。京都山科より信州芋川(現:飯綱町)に移転の後、寛文7年(1667)に当時の飯山藩主松平忠倶からの招きを受けて、現在の地に移りました。境内に建立された聖徳太子堂は江戸時代より飯山の職人衆の崇敬の対象とされ、例年正月の21日には太子の奉賛法会が行われているそうです。

■本学寺
南北朝時代に、新田義定の家臣桐山入道忠道により開基された。天保11(1840)年に、大火に会い焼失廃絶していたところを、明治10(1877)年に成田観成によってこの地に移され、現在に至っている。

■英岩寺
初代飯山城主泉重信の菩提寺で、飯山市街地で最古の寺。永仁年間天台宗の修験道場として創立され、その当時は江岸寺と呼ばれていた。戦国期に衰微し、文禄4(1595)年、高源七世通庵寿貫和尚によって栄巌寺として中興され、『英岩寺』と改名し現在に至る。今の本堂は安政3年に建立された物。
上杉謙信の直臣で「鬼」と呼ばれた槍の名人小島弥太郎は、川中島合戦で深傷を負い春日山城へ帰る途中、足手まといになるとこの地で自害して果てたと伝えられており、寺の裏手にその弥太郎の墓がある。

■小菅神社
小菅神社小菅山元隆寺(こすげざんがんりゅうじ)といい、かつては戸隠や飯綱と並ぶ北信濃の三大修験場として隆盛を誇りました。平安時代後期には、本地垂迹思想が定着し、熊野修験が入り込んで、小菅山の確立に寄与しました。室町幕府の支配が安定すると共に、小菅山は修験霊場としての隆盛期を迎え、4年の歳月をかけた元隆寺の宮社坊中寺観の再建、奥社内の宮殿の建立や、桐竹鳳凰文透彫奥社脇立二面が制作されています。室町時代までは小菅山では造営が営々と続けられており、それを可能にするだけの繁栄があったと考えられています。

■善覚寺
正受老人と親交のあった中野不白居士の墓もある。

■楯之平出雲社
縁結びから地域活性や商売繁盛、家内円満、その中でも特に交通安全には奥深い信仰のある神社とされている。

■西念寺
1639年、親鸞聖人の高弟24人のひとりである常念坊が開山。飯山藩主松平氏に従い、遠州掛川から各地をめぐり、飯山に移ったとされている。裏山の墓地に、松平家の家臣の墓が多く見られる

■飯笠山神社
上杉謙信が川中島の戦いの前線基地として、飯山城を築城の際に、城山にあったものを現在地に移転した。飯山城の守護神として、歴代城主から手厚く尊敬され、地元でも二年参り、七五三など町の生活と結びつきながら、信仰を集めている。

■本光寺
飯山城を築城されたときに、お城の守り神「七面大明神」をこの位置に移してお祀りしたのがこの寺の起こりです。
それ以来、当山は、お城の真西にあってお城を「七面大明神」によって庇護する役割を持ち、住職がお城の出入りを許された寺です。

■大輪院
歴代飯山藩主の祈願所とされたお寺。慶長2年(1597)に、関長門守一政が飯山に国替えとなり、菩提寺である忠恩寺を飯山へ移したが、同じ頃、愛宕大権現を愛宕山に勧請し、その別当寺として大輪院が建立された。奈良の長谷寺の末寺。かつてここにあった「あたごの鐘」は、時の鐘として、長く飯山地方の人々に親しまれた。

■忠恩寺
歴代飯山城主の菩提所となっており、城主松平家ならびに本多家の墓所がある。慶長6(1601)年に関長門守が長野の長沼より飯山へ移った際に、この寺も一緒に移ったとされる。
黒本尊は本多廣孝が徳川家康公から拝領したものとされ、護国殿に安置されている秘仏で、毎年8月15日のみ公開されている。 本堂外陣の竜の天井絵は、どの位置から眺めてもその人の方を見ているので八方にらみの絵といわれている。また、竜は水を呼ぶということから、建物を火災から守るとも信じられている。

■明昌寺
別名明照寺ともいい、太田村北条より現在地に移った。もとの場所には、現在も妙正寺という寺屋敷のあとが残っている。大正元年、城山公園内にあった東本願寺系の説教所(おたや)を解体移転し、それを主体に現在の本堂を再建したという大聖寺末の寺院。初夏には六地蔵の祀られた参道をあじさいが彩る

■大聖寺
江戸時代初期の飯山藩主・堀家、佐久間家の菩提寺。創建は木曾義仲の臣、今井兼平の子孫によると伝わる。
敷地内には、多くの被害を与えた1847年の善光寺大地震の犠牲者慰霊供養のために造立された、黄金石(こがねいし)地蔵が安置されている。また、明治初年、山岡鉄舟が正受庵再興のために来飯した際、堂室中の間に雄渾な筆跡を残した。

■慶宗寺
飯山城主佐久間安次の伯父、佐久間安宗が、入道宗慶(むねよし)と改め、城主備前守から境内千坪と寺領2石を賜り、寺を建立したのが始まりと言われる。その子、孫市が、元和6年(1620)法光山林昌院慶宗寺とした。

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自然景勝地 飯山周辺の自然観光 体験 

赤池
標高1135mにあるブナに囲まれた小型の池で周囲を散策出来る。
新緑の5月中旬、黄葉の10月下旬が景色良く、休憩施設、芝生広場が整備されて時折、森林ヨガのイベントも開催されています。また斑尾高原のスポーツアカデミーではミステリーナイトという夜のラフボート体験を企画しています。天然プラネタリウム、湖の上を時折飛び交うホタルの灯は湖面に映り、空と湖に挟まれた特別な体験ができます。

希望湖
のぞみ湖(希望湖)は周囲を白樺やブナの原生林囲まれた静かで美しい湖です。日本画家、東山魁夷が絵のモデルとしたことも知られています。静映と題された東山魁夷の絵には静寂の湖、湖面に映る立木の構図になっています。
現在はバスフィッシングとしても有名であり、コクチバスのメッカともなっています。

北竜湖
東山魁夷の題材のもなっている北竜湖は朝靄に陽が入り湖面が見えるようになると、木々が映り幻想的な景色を作り出します。古の修験道の山の麓、何か不思議な雰囲気もある湖です。日中はボートも漕ぎ出せる観光湖となっています。

■神戸のイチョウ
樹高36m、幹周11.2mとなっており、このような巨木は学術的にも貴重とされている。 樹齢500年超と伝えられ新緑の頃と金色に染まる秋の美しさは格別。気根が乳房のように垂れ下がる姿から、母親が乳の出を祈願する風習があるしされています。長野県天然記念物に指定。

■福島棚田の里
石垣を組んだ独特の棚田風景は、四季折々に胸を打つ「ふるさと」の美しさを見せてくれ­ます。「日本の棚田百選」に指定されています。自然石で組まれた独特の田は、江戸時代に開発され、減反政策などにより一時荒廃が進みますが、平成10年に結成された棚田保存会により美しくよみがえった。
毎年、近くの小学生が参加する5月の「田植え体験会」と9月の「稲刈り体験会」は、市民でなくても参加できる。

■沼の原湿原
雪解けと共に水芭蕉リュウキンカが咲き金黄色の絨毯を敷き詰めたように咲きます。 水芭蕉、リュウキンカの季節が終わると、白いミツガシワの花が湿原を際立たせ、リュウキンカの金黄色から清楚感のある白色に色合いを変えます。その後アヤメや夏のワタスゲ、カキラン、ウメバチソウなどが咲き、9月に入るとシラヒゲソウ、ハンゴンソウ、サラシナショウマ、リンドウなどといった花が見頃となります。

■茶屋池
周囲に樹齢200年前後のブナ林が広がる茶屋池。近くにある関田峠が交通の要所だった頃には、湖畔に茶屋があったと言われており、現在は休憩所の「茶屋池ハウス」を拠点として、長野県自然百選に選ばれたブナ林散策を楽しめるます。池の周囲は1.1km、ブナの森が広がり、澄んだ池の周りにある遊歩道を散策できます。新緑の季節木々、木々の間から差し込むやさしい陽ざしも心地よく森林浴効果が科学的に検証された「森林セラピー」の認定コースともなっています。樹齢400年を超えるブナの巨木「森太郎」がある「巨木の谷」へは、自然保全のため、ガイドと共に入山されることをお勧めしています。ガイドの派遣は「なべくら高原・森の家」へお問い合わせください。新緑の季節、紅葉の季節が素晴らしい場所。

■菜の花公園
千曲川のほとり一面に咲き誇る菜の花の丘公園は唱歌「おぼろ月夜」の舞台となったところです。
ゴールデンウィークの前後に満開となり、毎年菜の花祭りが開催さります。同時に様々なイベントや音楽祭も開催されます。
長野県のサンセットポイントに選ばれ 夕暮れの景色も、千曲川が真っ赤に染められる光景は幻想的で、 自然の驚異とその美しさの不思議さに感動する場所です。

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